海外駐在は3回目。
嬉しいのか、悲しいのか、全ての国が中国です・・・(笑)
学生時代は中国と全く縁がなかったのに・・・
私、モンリーがいつ、どこに駐在したのか歴史を振り返っていこうと思います。
懐かしい写真がたくさん出てきます。
初めての駐在は24歳
大学卒業後の入社した会社が製造メーカーで、私はシステムエンジニアをしていました。日々の仕事はサーバの管理や保守です。
私個人としては、中国とは全く縁もなく、むしろ日本から出ることは嫌でしたが、まさか24歳の時に中国に行く事になるとは思ってもいませんでした。
会社は、2,000年に中国蘇州に工場を設立し、多くの先輩方が蘇州工場立ち上げのために渡航を始めていたのですが、人手が足りなくなったせいか・・・ 私が暇だったせいか・・・ 入社2年目の2002年私に声がかかりました(笑)
ぶっちゃけ、海外の中でも得体の知れない中国だけは行きたくなかったのですが、、、10日間だけという約束で来てみたら・・・
仕事が楽しい!!! 今までは、他人が作ったものの管理や保守の業務が中心だったのですが、中国ではゼロから立ち上げていかなければなりません。PCから電話、ネットワーク、サーバ、データベース、セキュリティなど、工場としてのIT全てを。
その後、10日間だけだった約束が増えて、、、1度目の駐在につながっていきました。
当時、泊まっていた蘇州新区の胥城大夏(キャッスル)ホテルです。工場は、蘇州園区でしたが園区にはホテルがなく、新区から乗り合いバスで1時間かけて工場まで通っていました。

これが2002年当時の蘇州新区の街です。
高い建物はホテルぐらいしかなかったんですよね。

しかし、楽しかった駐在も2年間で終了。
日本に戻り、、、日本での仕事のやりがいのなさから転職する事になりました。そして新たに入ったメーカーでは・・・ 再び上海へ。
2度目の駐在は上海で
2007年再び中国に渡ります。今度は上海です。中国がイケイケGO!GO!で、最も勢いがあった時代ではないかと思います。
2度目の駐在は、上海でした。1度目と異なるのは、顧客が社内から社外になったことでした。この時、私は30歳を迎え、組織を持ち、部下も抱え、技術担当でありながらマネジメント業務も行うプレイングマネージャ的な立場でした。
当時の上海の様子です。

よく行っていた日本料理屋の桜膳です。とても懐かしい。

上海では、約3年間勤務をしましたが、リーマンショックの影響を受け、業績悪化により日本に帰任する事になりました。
そして、日本での仕事に面白みを感じなかった私は再び転職の道を歩みます。(笑)
上海駐在員候補を募集している会社に転職しましたが、3.11で大阪に異動になり、海外のチャンスはなくなり、日本中心の仕事になったことで仕事に情熱を感じなかったため、3度目の転職で、東京に戻る事になりました。
そして、転職先では、欧州やシンガポールのクラウド導入案件を担当していましたが・・・
3度目の駐在は再び上海へ
2016年に再び声がかかりました。
当時の上司が冗談っぽく、暑いところに駐在になるぞ! と言われてたので、東南アジアかな~と思っていましたが、、、上海でした。
そんなに暑い地域でもないじゃないか・・・(笑)
やっぱりこれまでの中国駐在経験が活きてきたというのが上海駐在につながった大きな理由かと思います。上海では、新規事業の立ち上げを担当する事になり、現在に至ります。